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アビリティーズ運動が進めるコミュニティケア
1942年、東京生まれ。1歳の時、小児マヒにかかり右脚が不自由。66年、早稲田大学商学部卒業。同年4月、日本アビリティーズ協会(現・NPO法人日本アビリティーズ協会)創設。同年6月、株式会社日本アビリティーズ社(現・アビリティーズ・ケアネット)設立、社長に就任。1987年、総理大臣表彰。2001年、デンマーク王室ヘンリック皇太子栄誉賞、デンマーク企業家連盟ディプロマ受賞。JDAを実現する全国ネットワーク専務理事。NPO法人福祉フォーラム・ジャパン副会長。早稲田大学人間科学学術院客員教授。
NPO法人日本アビリティーズ協会
会長 伊東 弘泰

■在宅ケアを支える医療者らのネットワーク
 「在宅ケア」の重要性が叫ばれて久しい。高齢者の福祉プログラムは、制度面では長い間、施設サービス中心であった。本格的な在宅福祉サービスは、2000年の介護保険制度が開始されてからだ。それ以前もなかったわけではないが、自治体により大きな格差があったし、必要なサービスの種類と量はニーズに程遠かった。介護保険制度の創設により、いまだ不十分ではあるが、在宅サービスが本格的に国の制度に位置づけられた意義はある。
 在宅ケアに燃える地域医療関係者が集まり、小さな運動として始まった「在宅ケアを支える診療所ネットワーク」は、7年目にしてNPO法人となり、「在宅ケアを支える診療所・市民全国ネットワーク」(以下「ネットワーク」と言う)と改称し、NPO法人、生協、株式会社を含む事業者、そしてボランティア団体まで参加する市民運動的な活動組織へと大きく発展した。最近の全国の集いには3000人に近い人が参加するし、各地でも研究会などが開かれる。医師を含めて会員が手弁当で準備し、熱気に包まれるのが常である。
 在宅ケアの担い手たちの活動現場は決して恵まれたものではなく、想いを入れ込んでやるほどに厳しい経営となっている。大手事業者の手法のように、介護保険制度の儲かる部分をうまく使って囲い込みでもやれば別だが、利用者のニーズに応えることと、それ以上に伝道者のような想いと実践へのこだわりがそれを許さず、事業の採算性を度外視して活動に取り組んでいる人たちが多い。
 一方、従来型の社会福祉法人などの組織は、地域でのこれまでの活動を背景に、介護保険制度の創設からその後の変化のなかで、独占的な領域を今なお確保し、特別養護老人ホームに代表される福祉施設事業を中心にしながら、在宅分野に活動を広げてきているところもある。だが、社会福祉法人の独占的な領域と有利な事業者としてのポジションがやがて崩れるのは時間の問題のように見えるし、民間事業者との競争関係はますます激しくなり、経営は急速に厳しくなるだろう。
 「ネットワーク」のような行動的なグループは、利用者から求められていることが何かに敏感で、特に医療分野から参画した専門職の人々は、とにかくできることから始める、走りながら考えるフットワークのよいスタイルで活動を広げてきた。一方、社会福祉法人などは過去長い間、潤沢な国庫などの補助金を財源として建物などの膨大な固定資産を保有することができたが、それを有効に活用し得ず、地域に打って出る活動は今でも目立つほどにはない。

■介護保険制度の創設が意味すること
 行政は従来、国民の福祉の責任を全面的に負っていたはずなのだが、介護保険制度の創設により急速に手を引いた。いや、最終的な責任を回避するために保険制度をつくった、と言ったほうがあたっている。
 国は市町村などに体よく行政移管をし、利用者による選択と契約により主体的にサービスを選ばせることが正しいのだと言い、また競争の原理の導入を建前に、国民の福祉についての責任者と実施者の立場から消え、指導・監督・管理者へと自らの役割を巧妙にすりかえた。財源確保の見通しのない日本の先行きに、もはや打つ手は限られていることを見越し、国民の福祉を守るべき責任者の立場から、いち早く逃げた、と言える。
 介護保険制度の開始前に、介護はビジネスになると、福祉サービスのプロバイダー(供給者)として企業を誘導したのは、他ならぬ厚生省(当時)だった。頭のよい、うまい予告編、仕掛けだった。だが、実際には事業者が多少でも儲け過ぎればバサッと保険給付を切るのはあたり前のことで、実は儲けさせないようにしか考えていない。
 しかし、いろいろな商売で儲けてきた海千山千の事業者は今後も制度の裏の裏まで研究し、介護保険ファンドからの儲け方を次々に考えていくだろう。不正は横行し、犠牲になる利用者が多くなる。役所の監査は税務署よりも忙しくなるだろう。監査手法は素人的で、形式や書類が整っていればよしとする程度のやり方が多いと聞く。
 本当は、ケアマネジャーを独立した機関へと位置づけ、公平性、専門性を担保することこそ、効果的で、急ぐべき最重要課題だと思うのだが、なぜかそれには手をつけずにいる。この厚生労働省の対応こそ、介護保険制度が正しく運用されず、効果を失わせている原因であることは明々白々だというのに。
 このようなことで果たして、高齢者や障害のある人、いろいろな疾病を背負っている人たちの福祉を守ることができるのだろうか。

■施設と在宅のプログラムが別という不合理さ
 厚生労働省の統計や施策でもいえるのだが、例えば介護保険においても施設福祉と在宅福祉とに切り分けている。しかし、実はそうではなく、その枠を取り払い、その境をなくして、利用者のニーズから見て、施設・在宅ケアのプログラムを限りなく一緒にし、使えるようにすること、しかもそれは各市町村で分断せず、ある程度広いエリアで、福祉サービスの資産を活用することを積極的に進めていくことだ。
 特養ホームに入ったら死ぬまで入っているのが現実だが、建前ではそれはよくないこととされている。元気になって在宅に帰すべきだと役所は言う。介護度の低いものは在宅で看ること、とも言う。しかし、それが正しいのだろうか。特養ホームの高齢者が、元気になって退去することを期待するのではなく、介護の程度が重かろうと、時にはできることならしばらく自宅で家族といたい時にはそうできるし、その時にも特養ホームに近い在宅介護のサービスを提供できるようにし、その間も家族に介護の重荷がかからないようなシステムを作ることができればと思う。
 重い介護状態になっても、多くの高齢者は、我が家に戻りたいと思っている。それは理想だと言われるだろうが、高齢者が命の終わりの近い場面で理想だといわれるようなことが、できることを考えたい。介護度のレベルで、在宅か施設かを決めるのは本人主体の思想ではなく、制度上の論法ではないか。何しろ介護度の重い人がたとえ望んでも、そのすべての人が施設介護を受けられる状況にはなく、単に施設ニーズが多くて施設が足りないから、行政はそう言っているに過ぎないのである。
 コミュニティケアについて語られることが、最近多い。しかし、それは一体どういうことなのか、まだ概念も定義も何のことか明確ではない。今のところはイメージでいろいろな人が使っている。施設と在宅といった区分の考えを取り払い、ひとりの高齢者、障害のある人、何か不便や困難をかこっている人を主体にして、本人にとって必要なサービスを、住んでいる身近なところで、必要な時に、適切にタイミングよく提供できること、しかもできるだけ本人の選択により提供できるようにすることが大事なことだ。それを可能にする包括的なシステムとプログラムがコミュニティケアだと考える。

■高齢者にとって安心な生活とは
 1999年にアビリティーズによる最初の高齢者住宅を東京・府中市に造り、その後少しずつ内容の異なるものをあわせて3カ所造ってきた。できるだけ勝手気ままに生活してほしいと、「気まま館」と名づけた。
 加えて、デイセンターやグループホームなど、さまざまなあわせて14事業所を開設した。しかし、高齢者だけで住むようなものは本来ないほうがいいものなのだ、と結論として考えるようになった。
 私が気まま館に行くと、入居者の皆さんは、「食事はおいしいし、スタッフもよくしてくれる、ここはいい」と言ってくださる。でも、それがどこまで本音なのか、実は違うのではないかと思っている。
 本当は皆さん、できることならご自分の家に住み続けたかったのである。やむを得ず、事情があって、移らざるを得なかったのだ。身体が不自由になったり、家族とうまくいかなくなったり、いろいろと事情があるのだ。誰が好んで自分の住み慣れたところから、慣れ親しんだいろいろな思い出の家具、重宝してきたものを置いて、時にはわずらわしいこともある半ば集団生活の場へと喜んで移るだろうか。
 たしかに私の母のことを思うと、私のこの想いは間違っていないと確信できる。最初の気まま館を建設した時、両親に2、3日試しに生活してもらった。母から特に感想がなかった。1年後さらに工夫したものを造り、また数日、来てもらった。やはり、喜んでもらえなかった。悪いことは取り立ててなかったようだが、ここに住む、とは言ってくれなかった。
 その翌年、また違ったものを今度は埼玉・川口市に造った。デイサービスとグループホームを併設した、今なら小規模多機能といわれるものである。無理をせず、最初にデイサービスだけ開業し、半年後くらいにグループホームを、1年後に高齢者住宅・気まま館をようやく開所した。また同じように2、3日母に住んでもらうことにした。85歳を超え、足腰が痛くて満足に立ち居振る舞いができなくなっていたし、痴呆で要介護3の父との2人暮らしが限界に来ていたので、何とかしなければとの想いが私にあった。
 そして初めて、「ここなら住みたいね」と言ってくれた。しかし、母は半月だけそこにいて、あとの半月はやはり自分の家で生活したいと言い、亡くなるまでの3カ月ほどそうしていた。気まま館では3度の食事もよく管理されていて黙っていても出てくるし、お風呂も広々ゆっくり入れる。快適そのものなのだが、それでも精神的な開放感を望んだのか、生活のうえでは不便なことが多いにもかかわらず、自宅での1人住まいの楽しさを持ち続けたかったのである。
 結局、住み慣れた土地で、親しい友人たちとの付き合いを保ちながら、顔見知りの店で買い物ができ、それがたとえ介助を受けるようになっても、そこが一番いいところなのだと母を通して確信した。
 高齢者は感覚で生活している。どこに何を置いているか、どこに何をしまってあるか、身体の中にすべて書き込まれている。外に出れば見慣れた風景があり、隣家に咲く花も知っている。近所の幼な子が大きくなり、挨拶もろくにしなくなっても、後姿を見て安心している。やがて家から出られなくなっても、寝付くようになっても、外の物音でそれが何かわかる、そういう生活が安心なのだ。
 そうした生活を複合的に、トータルで支えるコンセプト(概念)、システム(仕組み)が、これからの福祉であり、それをもって新しいコミュニティケアを構築することだと思う。

■この国の「棄民」の歴史、その繰り返し
 「ネットワーク」の創立以来会長である黒岩卓夫先生が、第13回若月賞の受賞記念講演と、その著書『大地の子と地域医療』で、体験をもとに語られたことは印象深かった。
 先生は1942年、当時の国家政策に応じ、ご家族で満州開拓団へ渡満した。5歳の時だ。満州開拓団からは兵をとらないという国の約束は反故にされて45年7月までに青壮年は根こそぎ戦争に召集され、開拓団に残るのは女子ども老人ばかりのところに、8月ソ連が参戦、1週間で全満州が占領された。すでに日本の軍隊は民間人を捨てて南の新京とトモンを結ぶラインまで退却していた。国の政策で32万人もの日本人が開拓団として送り出されたのに、人々は自分だけを頼りに身一つで逃避行をした。多くの人が死んだ。黒岩先生は46年12月、押しつまってようやく信州に帰国したが、混乱のなかで2人のご兄妹を亡くされ、さらにお姉さんの家族7人が北朝鮮で今なお行方不明のままだそうだ。先生はこれを国家による「棄民」だと言う。
 近くは、北朝鮮に明らかに拉致された国民を奪還するべきであるにもかかわらず、今なお、わが日本政府は明確に国家としての断固たる主張さえもしない。わが国家は国民を守る意志がないのである。明らかなこれも「棄民」である。
 障害者福祉を介護保険制度に統合を意図する厚生労働省。そこに障害ある人たちの自立生活とリハビリテーションに必要なプログラムが確立されていればともかく、決してそうはなっていない福祉サービス、支援プログラムのままで、無謀にもこれを行おうとしている。与党の反対により、国会に上程されるにいたらなかったが、厚生労働省の基本的な考えは変わっていないという。
 障害ある人は今なお、必要な医療、教育、移動、雇用、その他国民として社会生活を送るために必要な基本的な条件さえも確保されておらず、他の人々と共通、対等の機会を得られないまま放置されている。機会、チャンスを得られれば心身の障害があっても、それが生活や人生において重大な問題にならずに済む人は多い。必要な対応がなされないまま、障害のある人が単に介護対象者とされ、しかも国民の扶助、助け合いの制度である保険により障害のある人の支援を行うことは、本来あってはならない。これはまた国家による障害のある人についての「棄民」である。国家としての哲学がそこにはない。あまりにも貧困な発想である。

■人の絆(きずな)による助け合いのコミュニティ
 障害のある人があたりまえに、対等にできるところまで医療や教育、その他社会生活に必要な基本的な環境や条件を用意、確立することは、国家の国民に対する責任であり、保険ではなく税により対応されるべきである。
 現に、障害のある人々の多くは、前述のごとく生育過程においては医療や教育の機会を十分に得ることができず、また成人にいたっては本人が望む職に就けない者が多い。それどころか、職を得られぬ人も多数いる。そのために概して所得や貯蓄が低いか、無いケースが圧倒的である。
 今回の障害者自立支援給付法案によれば、障害者が福祉サービスを受ける場合、介護保険と同様に、「市町村に申請し、且つ原則1割を自己負担する」こととなっている。しかも「個人ではなく世帯単位での応益負担とするため、本人に収入が無くとも同一生計者の所得に応じて定率負担する」こととなっている。
 国民として同等の生活、生存権を得るのになぜ申請を要するのか。申請をしなければ見殺しか。また、障害があっても家族に依存せずに、本人が主体的に社会で生きていくことを願望しているのが障害のある人々が求めていることであるにもかかわらず、家族の庇護を前提としている。この法案はそうした基本的な「理念」、障害当事者の個人としての基本的人権を踏みにじっているのである。障害のある人々を一人前の国民として受け止めていない、厚生労働省の考え方に私は強い怒りを感じている。
 遡ってみるに、わが国家の歴史は国民を見捨てることを繰り返してきた。太平洋戦争の時に始まったわけではない。社会は今や荒廃し、殺伐として犯罪があまりにも多くなっている。政治家のなかに、国民に愛国心をいかに高揚すべきかとの発言がある。正しい意見だと思う。しかし、国民の生命や基本的な人権、生存権、生活権を守れないような国家に、誰が愛国心を持つことができようか。1億円の小切手をもらって、覚えていない、と言う元総理大臣のいる国である。
 だからこそ、この社会でこんな政府をあてにしない、地域での人の絆を大切にした支え合い、助け合いのコミュニティをつくってみたいと思う。
(2005年3月10日発行 アビリティーズ選書4「地域がつくる福祉」より
   
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