維持期のリハビリは必須 1 - 多田富雄先生の“闘争”の火を消すな

2017年01月04日

「リハビリ日数制限」は重度障害者を切り捨てた

 2006年の診療報酬改定で「リハビリ日数制限」が導入され維持期の患者・障害者は実質リハビリを受けられなくなった。そのため心身の維持、回復の訓練ができずに機能低下、生活自立度の低下、結果として社会参加の機会を失った人が多い。

維持期、慢性期を含めリハビリ全体の制度再構築が必要だ。

この主題について、2回に分けてコラムを掲載します。(この記事は、2009年9月 アビリティーズ紙153号に掲載されました。)

多田富雄先生の“闘争”の火を消すな

 2006年4月の診療報酬改定により、医療保険によるリハビリ医療が疾患系統別に区分され、最長180日を限度とした、いわゆる「リハビリの日数制限」に対して、患者の立場から反対闘争に立ち上がった多田富雄先生の著書「わたしのリハビリ闘争」(最弱者の生存権は守られたか)をあらためて拝読した。(注、青土社刊)先生は1934年生れ。千葉大学教授、東京大学教授を歴任された。世界的に著名な免疫学の権威である。

 2001年に旅行先の金沢市で脳梗塞に襲われた。3日余りたって意識を回復されたが、「右半身の完全な麻痺、高度の構音、嚥下機能の障害」で、叫ぶことも訴えることもできなくなっていた。旅先の病院で早期のリハビリを3ヶ月間受け、東京に戻り、都立病院のリハビリ科でさらに3ヶ月リハビリを受けたものの、そこにはリハビリ専門医がいなかった。「回復期の大事なこの3ヶ月の間に専門的な治療を受けられなかったことは一生の痛恨事となった」とお書きになっている。

 その後もリハビリ専門病院で入院治療、大学病院で歩行訓練やストレッチを、都立病院では言語治療を受ける闘病生活が続く。途中、前立腺癌の手術で15日ほどリハビリを休んだ途端に、歩けていたのに立ち上がることもできなくなるほど、リハビリ効果が退歩したことを経験される。

 絶望の中でかすかな社会復帰の光を頼りに日々の生活で、「一歩前進」の努力を続けていた先生を驚愕させたのが、2000年4月からの「リハビリ日数制限」という国の制度変更だった。それも変更直前の3月、通院していた東大病院で突然知らされたのである。「改定」の主旨は、簡単に言えば、医療保険によるリハビリは180日を限度とし、それ以上は介護保険によるデイケアなどで受けろ、ということであった。介護保険施設における「リハビリ」の実態は患者ニーズに対し、今なお大きな違いが存在しているというのにである。

 そして先生のリハビリ闘争が始まる。2006年4月8日朝日新聞「私の視点」で「診療報酬改定、リハビリ中止は死の宣告」と題しての先生の寄稿は、頼るわずかな光を消されようとしている弱者の心の底からの叫びを読者に感じさせた。

 その後も各方面に、先生は体験を通して、説得力ある「叫び」を書き続けた。重篤な右麻痺のため、左手だけで常人の10倍もの時間をかけてパソコンのキーを打つ。その闘争はついに48万人の署名に繋がった。

 だが国会議員を仲介してその署名を受け取った国は、多田先生によれば、その願いを実質、無視した。同年12月、厚生労働省が都道府県に出した「医療保険および介護保険におけるリハビリテーションの見直し及び連携の強化について」は、先生からすれば、「制度を見直しせずに、利用者を医療保険から介護サービスへ円滑に移行させよ、と介護保険に丸投げしようとしている」ことを確認したようなものだった。

「日数制限」は重度障害者の維持・回復を切り捨てた

 「リハビリ日数制限」は、高齢者人口の増大と共に確実に増大する総医療費をはじめとする社会保障費を抑制するための国の財政政策を根拠としている。一方では同じ脳卒中などを発症して間もない急性期、回復期とよばれる早期リハビリにサービス量を従来より増やした。慢性期・維持期のリハビリを医療の対象から大幅に削減した事は、時間がかかろうと少しでも機能を回復したい、せめて維持したいとリハビリに取り組んでいた患者の願い、希望を打ち砕き、実際に、自立生活と社会参加の可能性を大きく遠ざけた。

 介護保険によるデイケアは制度上デイサービスとは区分されている。医師、理学・作業療法士の配置が条件であるが、そうした専門職の確保は難しい。また確保できたとしても人件費コストが大きい。結果としてデイケアの運営はデイサービスに比べてはるかに総コストがかかる。しかしデイケアとデイサービスの介護保険報酬にはたいした差が無い。今の運営基準、専門職体制、介護報酬をベースにしてデイケア施設で十分な個別訓練など医療施設並みのリハビリを提供することは難しいのが実情だ。制度改定にあたり、医療保険は早期のリハビリを受け持ち、維持期は介護保険でという方針は分かる。しかし、厚生労働省の医療は保険局、介護は老健局という縦割り行政ゆえか、制度改定の検討に当たった中医協・土田武史会長(早稲田大学教授)は、のちに、「介護現場のリハビリがどういう状況か十分な情報提供はされていなかった」と行政を批判したと伝えられている。発症後180日でリハビリ医療を打ち切るのではなく、維持期のステージで患者のニーズに対応できるリハビリを提供する事が大事なのだ。

 突然の発症によりそれまで活躍していた人たち。それが一転して、歩行、会話、食事、トイレ、入浴、着替えなど生活に必須の行動が不可能または不自由となる。その困難、無念さは如何ばかりか、障害を負った当事者でなければ到底わからない。生きている限り続く、じれったさと怒りを抑え、床に転ぶ無残な自分の姿を見たくないから足下を見つめながらひと足、またひと足歩く。忍耐の歩行だ。自分の生存することに賭け、家族の願いを裏切りたくないとの一心から、我慢に我慢を重ね毎日を生きているのである。
 「リハビリ日数制限」の実施は患者サイドの悲痛な想いを真っ向から切った。思わぬ障害を受けて不自由、苦痛、困難に陥った国民を国は捨てたのである。まるでそれは、国家の一片の召集令状で戦地に連れて行かれた国民がろくな戦い方も教えられずに戦線に立たされ、敵の弾で負傷し、放置された太平洋戦争での多くの犠牲者を思い出させる。
 国民の命を守るために世界に冠たる社会保険制度をわが国は創った、厚生労働省の歴代の幹部は豪語する。しかし、いまや必要な医療サービスさえも次第に制限されている。

 「リハビリ日数制限」は多くのリハビリ難民を出すことになった。障害を受ける以前は企業戦士として活躍し、社会に貢献し、現に納税者として国家を支えてきた国民である。それが傷つき弱った状況に陥ったときに救うことなく見捨てるのは、国家による棄民行為にほかならない。

2回目の記事 維持期のリハビリは必須 2 - 弱者を切り捨てる悲しい国家

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