心身機能、生活自立に維持期のリハビリは必須

多田富雄先生の“闘争”の火を消すな

 2006年4月の診療報酬改定により、医療保険によるリハビリ医療が疾患系統別に区分され、最長180日を限度とした、いわゆる「リハビリの日数制限」に対して、患者の立場から反対闘争に立ち上がった多田富雄先生の著書「わたしのリハビリ闘争」(最弱者の生存権は守られたか)をあらためて拝読した。(注1)
 先生は1934年生れ。千葉大学教授、東京大学教授を歴任され、世界的に著名な免疫学の権威である。
 2001年に旅行先の金沢市で脳梗塞に襲われた。3日余りたって意識を回復されたが、「右半身の完全な麻痺、高度の構音、嚥下機能の障害」で、叫ぶことも訴えることもできなくなっていた。旅先の病院で早期のリハビリを3ヶ月間受け、東京に戻り、都立病院のリハビリ科でさらに3ヶ月リハビリを受けたものの、そこにはリハビリ専門医がいなかった。「回復期の大事なこの3ヶ月の間に専門的な治療を受けられなかったことは一生の痛恨事となった」と書かれている。
 その後もリハビリ専門病院で入院治療、大学病院で歩行訓練やストレッチを、都立病院では言語治療を受けたりの闘病生活が続く。途中で前立腺癌の手術で15日ほどリハビリを休んだ途端に、歩けていたのに立ち上がることもできなくなるほど、リハビリ効果が退歩したことを経験されている。
 絶望の中でかすかな社会復帰の光を頼りに日々の生活で、「一歩前進」の努力を続けていた先生を驚愕させたのが、2000年4月からの「リハビリ日数制限」という国の制度変更だった。なんと直前の3月、通院していた東大病院で突然知らされたのである。「改定」の主旨は、簡単に言えば、医療保険によるリハビリは180日を限度とし、それ以上は介護保険によるデイケアなどで受けろ、ということであった。介護保険施設における「リハビリ」の実態は患者ニーズに対し、大きな違いが存在しているというのにである。
 そして先生のリハビリ闘争が始まる。2006年4月8日朝日新聞「私の視点」で「診療報酬改定、リハビリ中止は死の宣告」と題しての先生の寄稿は、頼るわずかな光を消されようとしている弱者の心の底からの叫びを読者に感じさせた。
 その後も各方面に、先生は体験を通しての説得力ある「叫び」を書き続けた。重篤な右麻痺のため、左手だけで常人の10倍もの時間をかけてパソコンのキーを打つ。その闘争はついに48万人の署名に繋がった。だが国会議員を仲介してその署名を受け取った国は、多田先生によれば、その願いを実質、無視した。同年12月、厚生労働省が都道府県に出した「医療保険および介護保険におけるリハビリテーションの見直し及び連携の強化について」は、先生からすれば、「制度を見直しせずに、利用者を医療保険から介護サービスへ円滑に移行させよ、と介護保険に丸投げしようとしている」ことを確認したようなものだった。

「日数制限」は重度障害者の維持・回復を切り捨てた

 「リハビリ日数制限」は、高齢者人口の増大と共に確実に増大する総医療費をはじめとする社会保障費を抑制するための国の財政政策を根拠としている。一方では同じ脳卒中などを発症して間もない急性期、回復期とよばれる早期リハビリにサービス量を従来より増やした。慢性期・維持期のリハビリを医療の対象から大幅に削減した事は、時間がかかろうと少しでも機能を回復したい、せめて維持したいとリハビリに取り組んでいた患者の願い、希望を打ち砕き、実際に、自立生活と社会参加の可能性を大きく遠ざけた。
 介護保険によるデイケアは制度上デイサービスとは区分されている。医師、理学・作業療法士の配置が条件であるが、そうした専門職の確保は現状ではかなり難しい。また確保できたとしても人件費コストは大きい。結果としてデイケアの運営はデイサービスに比べてはるかに総コストがかかる。しかしデイケアとデイサービスの介護保険報酬にはたいした差が無い。今の運営基準、専門職体制、介護報酬をベースにしてデイケア施設で十分な個別訓練など医療施設並みのリハビリを提供することは難しいのが実情だ。制度改定にあたり、医療保険は早期のリハビリを受け持ち、維持期は介護保険でという方針は分かる。しかし、厚生労働省の医療は保険局、介護は労健局という縦割り行政ゆえか、制度改定の検討に当たった中医協・土田武史会長(早稲田大学教授)は、のちに、「介護現場のリハビリがどういう状況か十分な情報提供はされていなかった」と行政を批判したと伝えられている。発症後180日でリハビリ医療を打ち切るのではなく、維持期のステージで(医療保険でも介護保険でもよい)患者のニーズに対応できるリハビリを提供する事が大事なのだ。
 突然の発症によりそれまで活躍していた人たち、それが一転して、歩行、会話、食事、トイレ、入浴、着替えなど生活に必須の行動が不可能または不自由となる。その困難、無念さは如何ばかりか、障害を負った当事者でなければ到底わからない。生きている限り続く。じれったさと怒りを抑え、床に転ぶ無残な自分の姿を見たくないから足下を見つめながらひと足、またひと足歩く。忍耐の歩行だ。自分の生存することに賭け、家族の願いを裏切りたくないとの一心から、我慢に我慢を重ね毎日を生きているのである。
 「リハビリ日数制限」の実施は患者サイドの悲痛な想いを真っ向から切った。思わぬ障害を受けて不自由、苦痛、困難に陥った国民を国は捨てたのである。まるでそれは、国家の一片の召集令状で戦地に連れて行かれた国民がろくな戦い方も教えられずに戦線に立たされ、敵の弾で負傷し、放置された太平洋戦争での多くの犠牲者を思い出させる。国民の命を守るために世界に冠たる社会保険制度をわが国は創った、と豪語した厚生労働省の歴代の幹部の言葉はすでに空しく聞こえる。いまや必要な医療サービスさえも次第に制限されている。「リハビリ日数制限」は多くのリハビリ難民を出すことになった。障害を受ける以前は企業戦士として活躍し、社会に貢献し、現に納税者として国家を支えてきた国民である。それが傷つき弱った状況に陥ったときに救うことなく見捨てるのは、国家による棄民行為にほかならない。

弱者を切り捨てる悲しい国家

 私は1歳でポリオになった。父は28歳で満州に召集され、終戦後4年近くもソ連の奥深くに抑留された。シベリア鉄道建設の過酷な労働、厳寒と食料もない捕虜生活。たくさんの人が死んでいく中、死の一歩手前で生還した。捕虜生活中は当然、音信不通。父は通算6年を経て送還、帰国後に私が障害児となったことを知る。その衝撃は一瞬だが両親の苦労は一生続いた。入学拒否寸前までいったのは2度。挙句は就職試験を受けることを多くの会社から拒否された。私だけでなく両親、家族もまた、そうした差別との闘いの人生であった。障害を負うことは当事者だけではなく家族全体に悲しみと苦痛を生涯にわたりもたらす。たまたま障害を負った国民の不幸、困難をわが国家は救うことをしない。
 私は42年前アビリティーズ運動を起こし、「保障よりもチャンスを」をスローガンとして、障害ある人々の自立と社会参加の運動を一歩も引かず頑固に続けてきた。同じ日本人であるにもかかわらず、求めずして困難な状況に陥った国民が対等に生きていくために必要な支援をすることもなく放置している日本という国家の思想と施策に対する「怒り」である。税は過酷に取り立てても、一時的あるいは継続的にせよ、支援を必要とする国民を救うこともせず、国家としての対応責任を放棄し、見て見ぬ振りをしてきた政治と行政の責任は重い。

アビリティーズセンター

2007年末、東京・府中市に自立生活訓練センター「アビリティーズセンター」をつくり、医療保険、介護保険によらない自費による集中リハビリ事業を始めた。リハビリ専門医、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、看護師、社会福祉士などのリハビリ専門職を始め、介護福祉士、管理栄養士、スポーツトレーナー、建築士、福祉用具専門相談員等、さまざまな職種の人たちが、脳卒中などの障害を受けた人たちの自立生活を可能にすることを、できるだけ自分で生活できるような状況に回復、改善することを目的に「自立生活リハビリ訓練」に取り組んでいる。利用者の殆どが、リハビリ日数制限で病院の入院・外来を切られてもなお心身機能の回復に一縷の希望をもってリハビリをしようとしている人たちである。
 一般的にはリハビリ専門医でさえ、発症後2年も過ぎたら回復の見込みはない、と言っている。しかし、ここでは圧倒的に多くの人にそれとは違った結果が出ている。10日から1ヶ月、2ヶ月の「集中リハビリ」の実施で心身状態が明らかに改善するケースが続出しているのである。杖歩行もままならなかった人がPT、OT と本人との杖なし歩行の練習の結果、歩行が結構可能になったケース、長年箸を使えずにいた人がわずかな間にOTの指導と練習で箸で食事をできるようになったケース、自分で寝返りを思うようにできなかった人がPTやOTの指導と体の動かし方を覚えることで自力で起き上がれるようになったケース等々、開設以来半年の短い間にたくさんの感動的なシーンが生まれている。
車いすが体に合っていない人が世の中にこれほどいるのかとびっくりする。フィッティングマスター(車いすやクッションの調整専門家)が車いすをチェックし、身体に合わせて調整をやり直すことで崩れている姿勢が直り、顔が上がる、嚥下障害も改善、水も自分で飲めなかった状態から短期間に食事を取れるようになった人も多い。
一週間の集中リハビリの体験を通して回復の可能性に確信を持ち、当協会主催の5ヵ月後のオランダ・ベルギーツアーに参加する目標を設定し、それを現実に達成するまでに回復したAさんご夫妻のケースなど、書きつくせないほどの感動が生まれている。

リハビリの理念と制度再構築が必要

アビリティーズセンター

たしかにリハビリ専門医が言われているとおり、2年も経ったら障害は基本的には治らないのかもしれない。しかし維持的な運動機能訓練やADL(自立生活行動)訓練などをしっかりと受けることで、心身機能を保ち自立生活をより高いレベルで確保することができるということは明らかである。アビリティーズセンターのわずかな期間の実践で、利用者の方々が身をもってそれを証明している。

 発症して180日どころか、2年、3年を経過しても、やりようによっては心身機能が回復し、生活が変わり、からだや心が傷ついたとはいえ、希望を取り戻して生き続けることの意味、意義を再びつかむことのできた人たちの症例をアビリティーズセンターでの事業を通してたくさんつくり、関係者にも確認してもらいたい。それをもって障害を負った人たちのリハビリ医療・支援のあり方、社会参加の促進、職場復帰に向けての実効効果のある政策、制度を再構築することが必要だ。2007年4月の一部手直しは全く不十分なものである。
 多田富雄先生の悲痛な叫びに同感、共鳴した人々は多い。その証が48万人もの署名である。しかし、それは2006年の制度改定によって生じた問題の核心を軌道修正するところまでの力にはならないでとどまっている。これで終わらせてはならない。
 繰り返すが、国家は国民を等しく守ることが最大の使命である。そのような国家を作り発展させることが国民の義務である。そうした理念、思想を社会全体で確認し、作り上げていかなければ、この国はさらに速度を上げて滅びゆくことになるだろう。
 障害者福祉、介護保険制度を始め、社会保障が次第に切下げられていくなか、これからの日本にとって、疾病や障害、不幸な中にある国民も含め、安全、安心、幸福、生命などを大切なこととする国家の理念と行動を確立しなければならない。その機軸にたてば、リハビリ制度の再構築は重要で早急の課題である。


注1.青土社刊03-3294-7829 定価1260円(税込)

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