商品開発の第一号は食器 1974年

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自分で食べられるように

手や指にマヒや変形があったり力が入らなかったりすると普通の食器は使えない。となると、食事のたびに誰かにスプーンで口に運んでもらったりといった介助をしてもらわねばならない。自分で食事をしているときは、「次は何に箸をつけようか」などと考えずに食べる。無意識のうちに魚を食べたり漬け物をつまんだりしている。気づかないけれど食べたいものを食べている。そこで食事がおいしくいただけることになる。

他人に食事介助をしてもらっているときはどうだろうか。自分が食べたいと意識するしないによらず、介助者の意思で口に運ばれる。

自立生活に向かう第一歩は、自分で食事ができるようになることではないか、と私は考えた。介助者がいなくても自分の食べたいものを自分のペースで食べられるようになることだ。自分で食べるようになると食事がおいしくなり食欲が出てくる。すると、次第に元気になり前向きになる。からだが自然と動き出してくる。これは実際にリハビリを体験した人の感想だ。

当社が本格的に福祉機器の仕事を始めたとき最初に開発に取り組んだ商品は、握力がなかったり全く握れない人でも使えるスプーンや、皿の片方のフチが高くなっていて豆類等の細かいものでも皿から飛び出さずスプーンですくえる「すくいやすい皿」、倒してもこぼれないしかけの「こぼれないコップ」等であった。

また国内の食器メーカーに協力してもらい、和食の料理にも合う形のものを製造してもらうことになった。さらにスプーンやフォーク類は、新潟県燕市の金物食器メーカーの協力を得て外国製品よりも優れたものをつくることができるようになり、一部はアメリカやヨーロッパに輸出するまでになった。

採算を度外視して

食器類に続いて手の不自由な人のための歯ブラシや、くし、着替えのための道具、靴下をはいたりぬいだりするストッキングエイド、ボタンをはめたり外したりするボタンエイド等、日常生活に必要な小道具を紹介していった。採算を考えればとてもやれないものだったが、不自由な人にとって生活を自立するためには欠かすことのできないものばかりだった。

アビリティーズの最初の商品はこうした自助具とかADL用品といわれるものが多かった。これらは製作に手間がかかるうえ、販売数も多くない。それぞれの方の障害や事情にできるだけ合わせようとするから、それだけたくさんの異なる種類となる。一つのアイテムで年に五個、十個しか売れないものも少なくない。大変な高コストとなる。当然販売価格も高くなる。ところが、買う側はスプーン一本がなぜ千円なんだ、と言う。たしかにその通りなのだ。遠く離れたリハビリセンターから食器数点の注文をいただいたが、総額でもわずかな金額だ。こちらはついでのときに納品させていただこう、あるいは郵送させてもらいたいと思っても、「なんだ、お前のところはこんな小さなものもすぐ届けられないのか」と理学療法士(PT)、作業療法士(OT)の人たちから言われる。やむを得ず高速道路を使ってそれだけで納品にいく。結果は大赤字となる。にもかかわらず揚げ句の果てに、「アビリティーズは高い」と言われる。こちらの想いとは異なる評価を受けて、社員ともども嘆いたこともしばしばであった。

シャワーチェアを開発

入浴やトイレ用品も我が社が力を入れてきた分野だった。

シャワーチェア

当社がこうした仕事を始めた頃、特別養護老人ホームでさえ、安全で、介護負担の少ない入浴方法がとられていなかった。なにも大型の機械を備えなくても、シャワー用の椅子の導入で介護はずっとやり易くなる。お年寄りや障害のある方には、すべりにくく安定性のあるシャワー椅子が必要だと考えた私は、提携先の海外メーカーの協力で「シャワーチェアA~E」という五種類のシリーズをアメリカ、イギリスで製造し、販売活動を開始した。合わせて数百台の商品をコンテナで大量に輸入した。昭和50年頃のことである。

その頃には、40~50頁の商品カタログもつくれるようになり、それらのシャワーチェアはカタログのトップを飾った。しかし、それぞれさまざまな機能をもっているにもかかわらず、カタログを発行して三か月以上もたつのに一向に売れなかった。大量の在庫が資金的にも次第に重く感じられるようになってきた頃、私は一人夜遅くまでその対策に悩んでいた。

不安が募っていた私は、深夜、車で倉庫に向かった。当時、当社の倉庫は埼玉県和光市にあって、ごく狭いものであった。真暗の中、ようやくスイッチを探しあてた。裸電球の向こうに浮かび上がったのは、梱包、出荷作業のためのわずかなスペースを除いて、倉庫全体を覆うほどに積まれた在庫商品の山だった。大量に積み重ねられた箱入りのシャワーチェアを見つけるのは容易だった。数段に重ねられたその箱の上にはチリが積もっていた。

木造のバラック倉庫の、昼間でも電灯をつけなければ何も見えないような中で、長いこと置かれたままになっていたのだ。

商品との対話

この光景をみたとき、私の心の中に何かグッとこみあげてくるものがあった。私はいくつかの箱のその上の厚いチリを手で払いながら、思わず大きな声をあげていた。

「申し訳ない。必要としているお客様の役に立ってもらいたいと、こうしてたくさんつくったのに、長い間暗い中にこんなにほこりだらけで置かれていて申し訳ない。あなた方のことを知ってもらうためにあらためて一生懸命 PR します。役立ってもらえるよう頑張るから、今少し待ってください。すみません」

と在庫の山に声をかけた。私の心は重たかった。

ところが、である。数日して、私は意外なことを知らされた。社員から、「今朝一番でシャワーチェアの注文の電話がありました」と報告を受けたのである。

それから二、三か月は要したが、最初の輸入分はすべて売れてしまった。それからの数年間、これらのシャワーチェアは当社のヒット商品となり、他社からコピーも現われるほどになった。

「想い」をこめてお届けする

この体験を今もときどき人に話すが、大抵の人は信じない。でも私自身が体験した不思議なできごとである。たしかにあの時、商品と私の間に通じるものがあったと思う。

商品にも命がある。開発した人の想い、製造に手をかけた人々の想いが集積されている。

その商品にはそれを受けてお役に立とうと思うエネルギーが詰まっていると思う。一つひとつ「お役に立ってください」という願いを込めてつくり、お届けしていくことが大切である。

営業担当者にはお客様にお納めした後も、お役に立っているかどうか定期的に確かめにお伺いすることを義務づけている。(参照コラム「当社の理念とサービス 1 ― 定期点検契約に基づくメンテナンス体制 お客様に本当のサービスを提供する」。)
営業とは口でお上手を言うことではない。営業の仕事は、お納めした当社の製品が正常に働いているかどうかを点検してくること、ウエスを常に携帯し、製品をきれいに拭き上げてくること、そして製品の状態をお客様に報告してくること、もちろん、お客様のお仕事にお役に立つこと、新しい機器、リハビリ、介護に関する情報をお届けすることなどである。

製造者、販売者の姿勢が、たんに売り、買いという商売的な感覚に陥ってはならない。

アビリティーズの事業に関わる人たちに、この大事な理念がなくなったら、アビリティーズが存在する意義はない。

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